「後藤さ〜ん!」
ある時はその声。
甘く、それでいて嬉しそうにあたしの名前を呼ぶ声。
「後藤さん……」
ある時はその表情。
困ったようにおどおどしてあたしのほうを見る表情。
「後藤さんってば〜!」
ある時はその仕草。
あたしに微かに触れて、なんとか気を自分に向けようとするその仕草。
あ〜、やっばいなぁ〜……。
このままじゃ自分が抑えきれないかも……。
駆け引き
「後藤さ〜ん……」
何度目かの紺野の声であたしはようやく雑誌を閉じた。
そして紺野の方を向くと……うわっ!?
紺野は瞳に涙をにじませ、あたしのほうをジーッと見ていた。
たとえるなら寂しくて耳を垂らしたウサギみたいに。
あたしの心臓が一回大きく高鳴った。
「後藤さん、私とすごすの楽しくないですか……?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
今日は久々に紺野とオフが重なった。
だから昨日から紺野はあたしの家に泊まりに来てて。
どこかにデートに行くこともできたけど、なんとなく今日は二人でまったりしようということになった。
そういうときに限ってあたしの家族は示し合わせたようにみんな出かけてしまって。
つまり今この家にあたしと紺野は二人っきり。ちなみに時刻は真っ昼間。
「だって後藤さん、さっきから雑誌読んでばっかりじゃないですか」
「そ、それは……」
紺野はそのままあたしのとなりに腰掛けてきた。
あたしはソファの端まで退散するけど、紺野はさらに詰め寄ってくる。
あぁあ、ダメだって、そんな顔で迫ってきたら!
ついでに今日は春なのにやけに温かくって、ただでさえいつもより薄着なのに!!
そりゃ昨日の夜もしちゃったけど、仕事で疲れてた紺野がすぐに力尽きて寝ちゃったからあたしとしては物足りなかったのよ。
まるであたしはお腹を空かせた肉食動物。
こんな美味しそうなウサギが自分から目の前によって来ちゃったらもう!!
「後藤さん……」
あたしの目を覗き込んだ紺野の瞳からは「かまって欲しい」光線が発せられてて。
あたしだってすぐにでも「かまって」あげちゃいたいんだけど……。
動物と違って人間には理性なんてものが備わってるから、あたしは葛藤を繰り返す。
食べたい、食べちゃいたい……。
でもさすがに真っ昼間からは……。いつみんなが帰ってくるかわからないし……。
『食べちゃえYO! とってもとっても美味しいYO〜?』
『いけません、食べてはいけません! まだお昼ですよ?』
あ〜、どこからか梨華ちゃんとよしこ……じゃなくて天使と悪魔の声も聞こえてきた……。
「こ、紺野、とりあえず離れて……」
今やすぐにでも紺野の唇を奪えるくらいに顔が接近している。
でもこのままキスしちゃったら、間違いなくそれが引き金になる。
この状況は非常にヤバイ。それなのに……
「嫌です!」
「えっ、紺野?」
「だって離れたらまた後藤さん雑誌読んじゃうかもしれないじゃないですか!」
それは一瞬だった。
紺野があたしの胸の中に飛び込んできた。
普段の紺野からは考えられない行動で、あたしは身動き一つ取れなかった。
「こ、紺野……?」
「後藤さん……」
紺野があたしに抱きついたまま顔を上げる。
頬を朱に染めて、上目遣いであたしの顔を見る。
「私と一緒にいるときは、私だけを見ててください」
パァン!!
あたしの中の何かが砕け散った。
「紺野、ごめんね……」
「後藤さん……」
赤いままの紺野の頬を撫で、そっと唇を合わせる。
そして紺野の身体を抱きしめた。
紺野はしばらく固まっていたけど、やがてゆっくりと力が抜けていった。
その隙を見計らって、あたしは一瞬で身体の上下を入れ替えた。
「えっ、えっ? 後藤さんっ!?」
「あはっ! ごめんね、紺野!」
あたしの下で戸惑っている紺野の首筋に唇を寄せる。
「んっ!」と耳に届いた呻き声がさらにあたしを突き動かす。
ごめんね梨華ちゃん、ちょっとあっち行っててくれるかな?
「ご、ご、後藤さんっ!?」
「いや〜、さすが紺野の誘い受けテクニックだね。とても抗いきれないわ」
「さ、誘ってません〜!!」
バタバタ暴れる紺野を押さえつけて、上着のボタンに手をかける。
もうダメ、無理だよ。止められないよ?
紺野が誘ってきたんだから、覚悟してね?
あなたとあたしの駆け引きは、いっつもあたしの負け……。
あとがき
2006年の後紺祭りに投稿した小説です。
紺野といえば誘い受け!(マテ
そんな感じで一気に書いて見ちゃいました。
なぜか特別ゲストのいしよしが出てきちゃったりしましたが(笑